よっちゃん祭1日目
津屋崎千軒一帯を舞台にまちが賑わう「よっちゃん祭」。
第21回目を迎える今年も4月21日(土)と22日(日)の2日間、開催をしました。
『よっちゃん祭』は20年前に津屋崎千軒の古き良き街並みを活かした祭りを開催しようと、地域住民主体で始められた手づくりイベントです。
寄っちゃんさい、と(新酒のかほりに)酔っちゃんさい、との想いが込められています。そんな津屋崎の文化を色濃く表現する交流とおもてなしの祭りとなっています。
毎回、テーマ決めから当日の運営まで老若男女、津屋崎に住む人、関わっている人、たくさんの人達が集まってつくっています。
今年のテーマは「そーつこー津屋崎」になりました。「そーつこー」とはこの辺りの方言で、「歩き回る」という意味です。
最後の打ち合わせの様子
4月21日の様子です。開始の挨拶もほっこり笑顔で和む場となりました。
豊村酒造の母屋では地元の人達が踊りや演奏を披露しました。
尺八の演奏もステキでした。
小学生は子ども山笠でまちを駆けめぐり、中学生達は祭りを楽しみながら地元のお母さん達とお手伝いをしている。
趣のある酒蔵には子供たちがつくった山笠と絵を展示しました。
人の関りの分だけ、たくさんのドラマが生まれています。地元の人達と積み重ね続けて21回目を迎えるお祭りです(2日目に続く)。
消防団を5年終えて思うこと
糸島市の雷山分団と福津市の第3分団と二つの市を跨ぐ分団に入団して合わせて5年が過ぎました。4月から6年目を迎えています。
5年前、入団した最初の月に大学院生が消防団に入団するのは珍しいという事で西日本新聞に当時の班長と一緒に紹介してもらいました。
最も身近な自治(政治学)の研究を、地域に根差して実践しながら行いたいと福岡県糸島市に住み始めて1年目が終わるころ。当時の区長さんからこの行政区では消防団に入る人が6年も出て来ておらず、若い人たちも中々、見つけきれん。地元の若い人が入団するきっかけが欲しいと入団を打診されました。
もっと地元に深く関わりたいと思っていたのと、よそ者になかなか声がかからない話なので嬉しくて、二つ返事で答えました。
その後、先輩たちから本当に入って大丈夫なのかと何度も確認され、大丈夫ですよとさらっと答えたのですが消防団の仕事の大変さを理解するのはそれから少し先のことでした(笑)
この新聞が載った数日後に分団長と初めて顔を合わせたのですが「新聞に載ってたやつやな、俺が映っとらんぞ」と冗談交じりに歓迎して貰い、団員からも九大生で覚えられるほろ苦いデビューでした。先輩に杯を返しながら飲み交わす返杯の文化を知ったのもこの時でした。
消防団では操法大会のサポートや春や秋の火災訓練、出初式など出毎に顔を出す中で名前で言って貰える人も徐々に増え、それぞれの消防団に入った経緯や地元への想いをたくさん聞くことができました。
地元を守る人たちの生き方に触れると同時に、消防団の大切さを身にしてみて理解できた貴重な経験でした。何より有事の際に身体をはって動く存在が頼もしかったです。
一番最初に教えてくれた班長、そこで出会った消防団の先輩たちにはその後、公私ともに色々な場面でお世話になりました。
糸島の中学生に地元で働く大人たちの生き方を知って欲しいと、中学生向けに冊子の制作をクラウドファンディングを使って資金を集めた際には、地域が違うにもかかわらず、当時の地元の班長代表が糸島の子供たちに地元で働く選択肢が生まれたらとご支援を頂きました。
班長は福津から縁あって移り住んでいて糸島で根差して仕事をしている方でした。それまで、きちんと話したこともなかったのですが、他所から来て苦労してきたからこそ応援したいという思わぬ先輩の心意気に感動し、心が震えました。
この先輩以外にもこのプロジェクトでは多くの団員の方から応援の言葉や支援をしてもらい、この冊子制作も上手くいくことができました。取り組みについては下記のURLをご参照ください。
また、糸島の広報誌にも紹介して貰い、自分が何をしている者なのか理解してもらえるきっかけがうまれ、地域の方からも温かい応援の声をかけてもらえるようになりました。糸島市からも応援してもらいおおいに勇気づけられました。
2013年5月号の糸島市広報誌。
2013年4月から2016年3月までの3年間、地域を陰ながら守っている消防団の方々の心意気に触れ、この入団をきっかけに糸島で取り組むうえでも多くの活動の機会を頂くことができました。
その後、2016年4月に福津市に移住してきてからも暮らしている集落の団員の方が移住してくるタイミングで定年で抜けるのと重なり4年目の消防団を福津市で迎えることになりました。
福津市第3分団に入団。この分団は福津市の中でも小規模の分団で雷山分団は60名近くいたのですがこの分団は団員合わせて20名。先輩の顔と名前もすぐに覚えることができる、アットホームな分団です。
これまで、ポンプ車を扱う事はなかったのですポンプ車の操作が基本(写真奥の車)。
火事があった時に前線に立つことがあるからです。糸島にいた頃の班は町中だったのもあり、消した後のフォローやその後の対応を先輩たちから学びました。
福津ではこの間、火事の現場に何度か居合わせたのですが消防団員が駆け付け、放水をする現場を見てきました。いかに早く水を送れる場所を見つけ放水をするか、火が目の前に迫る命がけの現場に出会うことも何度かありました。
火事への対応や扱う機材、文化の違いを二つの分団を体験してきたからこそ理解できることがたくさんあります。その中で、地域を想う気持ちや有事の際に駆けつける想いは共通だなとしみじみと感じます。
お世話になっている津屋崎の地で、今年度は団歴相応の技術を身に着けることができるように励みたいと思います。
まわしよみ新聞92号発行しました。
91号で様子だけ見に来ていた小学生が今回はなんと休みの日と言う事でまわしよみ新聞に参加してくれました。
続けていると新たな出会いが起きるのがまわしよみ新聞の魅力です。大人たち顔負けの知識と視点で話し合いに参加してくれました。
今回は福岡で食べられている資さんうどんが全国展開する話や宗像の世界遺産をどう活用するのか、留学生の働かせ過ぎの問題、ナスカ絵の近くで新たな絵が発見された話などご当地の話から世界の話までワールドワイドに往復しながら楽しみました。
編集の様子。
90回積み重ねてきた中で質の高い作品となりました。この号はとても良い出来だったので王丸屋に常設して貼っています。
集合写真も楽しくぱしゃり。
小学生の彼は休みの時はまた来たいと言ってくれているので、またおしゃべりできるのが楽しみです。
次回は5月2日(水)9時30分より「みんなの縁側 王丸屋」に開催します。5月も毎週水曜日はまわしよみ新聞を発行していきます。
皆さんとおしゃべりと交流の時間を楽しく過ごせたらと思います。お時間の合う方は足を運んで下さい。
「まちの縁側 つなぎや」が閉店しました
3月17日は糸島時代に住んでいた地元の方々と「まちの縁側 つなぎや」の物品の撤去作業を行いました。
2012年から4年間、福岡県糸島にて地域の方々のお力を借りながら住みながら地域で場をつくる活動を行ってきました。
活動の詳細についてはつなぎやのHPをご参照ください
つなぎやは子供達の学びの場として使われてきました。
また、地域の方々・大学生の交流の場にもなっていました。
次に移り住む学生まで決まっていたのですが残念ながら大家さんの都合で閉店することになりました。
たくさんの人達に受け取ってきたもの達が新しい人たちに引き取られていきました。
受け渡しをする中で、それぞれのものの物語を思い返しながら糸島で暮らしていた頃に出会った人なり情景を思い返していました。
地元の中学生・大学生たちと看板は一緒につくりました。
看板の設置は地域の方と一緒に行いました。
糸島での様々な出会いや経験は4年間は自分の人生を変えるほどのたくさんの経験をさせて貰い、今でも糧となっていきています。
この日は飲み仲間でもあり、公私ともに支えてくれた「おやじの会」の皆さんが閉店するからと撤去作業を手伝ってくれました。
地元の方々に支えられてきたことをしみじみと感じます。
今まで温かく応援して頂き、ありがとうございました
遅くばせながらの新年の目標と誕生日を迎えて
1月10日に30歳を迎えることができました。既に誕生日から3か月がたっていますが当時を改めて振り返りながら記事を書きます。
年を重ねるとのと同時に出会う人たちも増え、多くの方にお祝いの言葉を頂き、本当に嬉しかったです。この日はまわしよみ新聞と重なり、ラッキーセブンが並ぶぞろ目の号を発行でき、目出度い日が重なりました。
この日は大好きなすき焼きといちごショートケーキをたくさん食べ、プレゼントまで貰い幸せいっぱいでした。
30歳は論語で言うところの「而立」。今年の目標は「律志挑戦」にしました。まちづくりのファシリテーターとして自ら業を立てるように、これまで経験してきたことや学んできたものをしっかりと積み重ね、30と言う節目にまた新たな挑戦を自分を律しながら進めていきます。
多くの方々と共に仕事でも活動でも、これまで以上に密な関係をつくっていきたいと考えています。新たな企ても考えておりますので楽しみにしておいてください。
これまで以上に活動範囲を広げたいと考えておりますので、話を聴きたい方々、またお会いしたい方々にお声かけさせてもらいます。私と話をしたいという方は気軽に声をかけてください。津屋崎に来たいという方もウェルカムです(^^)/
今年も4分の1が過ぎましたが引き続き、よろしくお願いします。
まわしよみ新聞の取材と全国サミット
3月16日は、まわしよみ新聞の生みの親、陸奥賢さんがまわしよみ新聞の本の制作のため津屋崎に取材に来てくれました。
学校や公民館、研修等々全国各地で発行している中、津屋崎の取り組みも数多くの事例の中から選ばれて紹介して頂けることになりました。
まわしよみ新聞との出会いから、常連さんたちと一緒に津屋崎でのまわしよみ新聞の2年間を振り返り、陸奥さんに伝えました。
毎週水曜日に「みんなの縁側 王丸屋」で続けてきたまわしよみ新聞は91号を迎え、発行した数は100を超えます。
これまでに遠くは東北・関東・信州、広島から参加してくれた人達。気になって飛び込みで参加してくれた地元の方々。まわしよみ新聞を自分の地域でやってみたいとお試しできた方などなど、0歳から80歳まで老若男女、職種を問わずたくさんの人達とおしゃべりを楽しみながら積み上げることができました。
まわしよみ新聞は続けていく中でたくさんの物語を重ねながら融合していくのだと気づかされた2年間でもありました。
続けていく中で心が折れそうなこともありましたが、津屋崎には自分以外にも主催できる編集長がたくさんいてその人たちに支えて貰い、みんなで作り上げています。
全国の地域の事例の中に、津屋崎の取り組みも紹介されるので陸奥さんがどんなご紹介をするのか、とても楽しみです。6月に出版の予定ですので楽しみにしておいてください。
また、17日は西日本新聞社の本社で、第4回まわしよみ新聞全国サミットが開催されました。全国各地でまわしよみ新聞を通してステキな場をつくっている人達に出会い、刺激を貰いました。たまには外に出て交流するのもいいですね。
この日は青森県の日刊紙「東奥日報」の記事を取り上げ、参加した皆さんと作成しました。
できたそれぞれの記事を見せ合いながら大盛り上がり。
6月のはじめには100号を迎える津屋崎のまわしよみ新聞、これからどんな展開になっていくのか楽しみです。
次回は4月11日(水)9時30分より「みんなの縁側 王丸屋」に開催します。皆さんとおしゃべりと交流の時間を共に楽しく過ごせたらと思います。
津屋崎のまわしよみ新聞について詳しく津屋崎ブランチのHPをご参照ください
まわしよみ新聞91号発行
2016年4月から毎週水曜日に津屋崎でまわしよみ新聞を発行し続けて3年目を迎えました。
100号まで残り9号、今回は4月から中学生になる常連さんも話し合いから駆けつけて、東京オリンピック競技のコーナーをデザインしてくれました。
タイトルとオリンピックコーナーを担当する親子共演。
100号の記念号は6月の前半に企画を考えています。また、内容が決まり次第、ご案内をさせて頂きます。
今回は自動ブレーキって本当に安全なのか、カジノのが日本でできて大丈夫なのか、マイナンバーを使っての地域通貨は地域に浸透するのか、小中学校の2学期制と3学期制ってどちらがいいのかなどなど笑いあり、まじめな話ありの語り合いの場になりました。
編集作業にも力が入ります。
地元の中学生が地域で大活躍です。
恒例の集合写真。
中学生と共に作成した春休みのまわしよみ新聞です。
次回は4月11日(水)9時30分より「みんなの縁側 王丸屋」に開催します。皆さんとおしゃべりと交流の時間を共に楽しく過ごせたらと思います。
津屋崎のまわしよみ新聞について詳しく津屋崎ブランチのHPをご参照ください 。